幼い日、アレサは父C・L・フランクリンの巡回説教の場で歌いその歌声で喝采をあびる。1967年。ヒットに恵まれないアレサは、最後のチャンスと考えアトランティックレコードでアルバム録音に挑むものの、レコーディングは夫、テッドの独占欲で失敗に終わる。だが、プロデューサーのジェリー・ウェクスラーは諦めず連絡してくる。父の紹介で敏腕マネージャーのルースが付き、ついに大きなステージに立ち、ソウルの女王になる。
ソウルの女王になる4年前。アレサは自分の音楽を模索していた。コロムビアレコードはジャズで売り出そうとするが、アレサ自身は納得できない。やがてアトランティックレコードのジェリー・ウェクスラーと出会い、自分の音楽を探す手助けをするという言葉にアトランティックとの契約を決める。同時に、テッドのやり方に不満が溜まっていく。幼いアレサは、説教師として名声を得る父親のゴスペル巡回でクララ・ウォードと知り合う。
ソウルの女王の称号を得て多忙を極めるアレサ。公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師がテレビで話すのを見たアレサは、自分もできることで協力すべきだと考える。赤ん坊を産んだ幼いアレサはしばらく歌から遠ざかっていたが、父の教会の聖歌隊の新しい指揮者ジェームズ・クリーブランドと出会い、ゴスペル巡回に復帰する。ゴスペル歌手だったサム・クックがポピュラー音楽を歌うライブを観て大いに刺激を受ける。
アレサは「タイム」の取材を受ける。表紙を飾るも掲載された内容はスキャンダラスなものとなっていた。それが原因でテッドとの仲が最悪となり、納得した歌も歌えなくなってしまうアレサ。ついにテッドとの離婚を決心する。アレサが生まれる前、C・Lと妻のバーバラはナッシュヴィルで布教生活を送っていた。だが、C・Lが少女を妊娠させるという事件が。C・Lを家から追い出したバーバラだったが、アレサが生まれ懺悔するC・Lを許す。
テッドと別居を始めたアレサは、ケン・カニンガムと出会う。黒人の人権問題の事件や活動家に刺激されプロテストアルバムを作ると宣言する。政治色の強さを懸念するジェリーに対し、アレサはアルバムにプロデューサーとしてクレジットされない憤りをぶつける。アルバムは大ヒットする。アレサが9歳の時、バーバラはC・Lの浮気に耐えられず、子供たちを連れて行くことを許されないまま1人で家を出る。ある日、母の訃報が届く。
アレサはクリーブランド牧師を訪ね彼の教会でゴスペルのライブアルバムを作りたいと伝える。C・Lの教会を使わないことを心配する彼に父親に関わってほしくないと訴える。ジェリーはアルバムには賛成するももっと大きな教会での録音、さらに映画化を提案する。ライブは成功し、不朽の名盤「アメイジング・グレイス」が世に出る。第2子妊娠をC・Lに知られたアレサは退学させられ、C・Lの教会で初アルバムのレコーディングをする。
音楽の流行はディスコへと移るがアレサはスタイルを変えない。そんな時、ジェリーがアトランティックを去る。アルバムが売れずに焦るアレサは妹のソロのチャンスを奪ってしまう。アレサは俳優業にも進出、演技レッスンでグリンと知り合う。確実と言われたグラミー賞を逃し落ち込むが、グリンにアリスタの創設者クライヴに紹介される。音楽と改めて向き合うアレサはディスコソングのライブを成功させる。同じ頃、C・Lは強盗に襲われる。
アレサは昏睡状態の父を看病しながらどれほど大きな存在かを知る。2度目の離婚と父の死という大きな喪失を抱えながらも、キャリアを前進させようと音楽的に新しいチャレンジを試み、成功を収める。アリスタ・レコードに移籍し、プロデューサーのクライヴ・デイビスの協力のもと、順調に成功を収めていくアレサ。そして第40回グラミー賞授賞式での伝説的なパフォーマンスで「ソウルの女王」としての存在感を確固たるものにする。